2017年05月19日

「自由」と「権利」と「義務」

1990年代の半ばインターネットが普及
し、ここ近年「SNS」がくもの巣のように
あちらこちらに張り巡らされ、日々の暮らしが
便利になったような楽しいような反面・・・

「自由」が糸の切れた凧のようになり
「権利」が泡沫のようにかき消され
「義務」が負うものではなく負わせるものになり

みんなで「ピース」なんて集合写真をとって、
無造作にSNSに投稿される。
その写真に写った人がSNSを共有していなくても、
ノリノリで投稿される。
つまり集合写真に写った状態で、その写真の
使い方まで「委任」したことになっている。


表現の自由なんて言葉すら知らぬかのよう
「楽しかったよ」なんて言葉で、悪意のない
善意の衣で包まれた言葉が、写真とともに
SNSを通じて永遠にWeb上に漂流する。

表現の自由はあるが、それは自身の肖像権や
主張について。他者の肖像を許諾なく使うのは
他者の権利の侵害。
決して『自由』ではない。


なんでもかんでもの自由なんてない。
自身が写っている集合写真を、無制限に閲覧
されるSNSに投稿されたくないと思う人も
いる。

「拒否する権利」が侵されても、
「No」と言うのに勇気が求められる。

人間関係がややこしくならないだろうか?とか、
みんなで楽しむ空気を読めない奴だと
思われないだろうか?とか
大人気ない奴だと非難されないだろうか?なんて。

もっと言えばSNSに投稿されていることを全く
知らない人もいる。
『自由』の下に「権利」がいとも簡単に
踏みにじられる。

その自由には事前に許諾をとる義務がある。
その義務すら「お友達」の中でボーダレスに
なっている昨今。
その行為が善意であっても・・・

もう一度
基本的人権とはなにかそれぞれに問うてみる
必要があるのではと考える。
自由および権利について考えてみたい。

憲法12条
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、
国民の不断の努力によって、これを保持
しなければならない。
又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、
常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

「国民」を「私たち」に置き換え、
「公共の福祉」を「お友達」という言葉に
置きかえて考えてはどうだろうか。
posted by fusabon at 13:40| Comment(0) | TrackBack(0) | PC&WEB | 更新情報をチェックする

憲法を知らない人が改憲を語る

三月中旬の参議院予算委員会のTV中継。

加計学園疑惑について週刊朝日にスクープ
された記事をもとに、社民党福島みずほ議員が
質問したときの、安倍首相は興奮し暴言。

視聴していた私は安倍首相の狼狽と焦りと
怒号に、これは事実だと直感した。

3/13福島みずほ:参院・予算委員会
●福島みずほ議員
「加計学園の理事長が、獣医学部新設を望んで
いたことを知ってましたか?」
▲安倍首相
「週刊誌の記事以外に確証あるんですか?
名前を出して生徒募集に影響出ますが、
責任取れますか?全国放送ですよ!」

森友学園問題はますます安倍夫婦の関与が
明白になってきている。
くわえて唯一無二の友人への利益誘導。

行政府の長の疑惑が生じているから議員は質問する。
国会議員には疑惑を質す使命がある。

心に刺さる質問にもしっかり向き合って
応える義務がある。

安倍首相は憲法を全く知らない。
あるいは完全に無視しているかだろう。


≪憲法 第51条(議員の免責特権)≫
両議院の議員は、議院で行った演説、
討論又は表決について、院外で責任を問われない

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posted by fusabon at 12:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | 更新情報をチェックする

2017年05月18日

少数者・・・日本たんぽぽ

西洋タンポポに生息地を侵され
少数派になっているが、
決してあきらめたわけではない
しっかり生きている

少数者を異端と排除したり
見下ろす風潮が強い

多数が絶対権力を掴みとった
かのような世間だが、
権力に揉み手迎合するかのような
少数派が生まれ
ますます混迷の世間

混迷を打ち破るかのように
少数者は声を上げる

おっとどっこい
おいらも生きる権利があると

ニホンタンポポ.JPG
posted by fusabon at 20:02| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする