2014年04月30日

街なかの高層ビルでロッククライミング!?

[E:run]御堂筋をぶらり歩きでひょいと見上げた商業ビル。

[E:building]ナンバヒップス・・・壁面に怪しげな人影[E:wink]

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ロッククライミングの体験イベント[E:happy02]

元は遊具のゴンドラがあったようだが、不具合続きで

遊具を排してロッククライミング用に改造したとか。

高いところが苦手なお爺はタダでもいかんぞ!!


普段見る機会が少ない道頓堀の西から眺める風景は

新鮮でぼんやり眼を遣って楽しんだ[E:good]

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「御堂筋ジョイふる2014」・・・御堂筋の芝生化!?

[E:rain]あいにくの雨模様で主催者も出店者も気をもまれた

ことだったでしょうが、お爺はわざわざ出かけた[E:run]

御堂筋の「新橋(長堀通)」から難波西口までの1.2Km

を車を締め出し、道路に食べ物のお店やジャズ演奏

ブースを設けて、歩行者は気ままに歩くイベント。

以前行われていた御堂筋パレードを橋下市長の一言

で内容をがらっと替えさせたもの。

どちらがいいのか軽々に判断できないが、お爺は

パレードの方がイベントへのワクワク感が生まれて

いたが、なにをするかは大阪市民が主体で決めること

かも知れない。

ただ、お爺が行ったのは「御堂筋みどり化イメージの

芝生」に懐疑と猜疑心を抱いて参加してきた。

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橋下市長の政策に

御堂筋沿いの本町の

建造物高さ制限を撤廃し、

高層マンションの建設と

御堂筋の芝生化にして歩行者専用道路とする

『まちづくり』を挙げており、政策の一片

をイベントに具現するため取り組んだのだろうが・・・

微妙な起伏のある芝生の上を歩くのは高齢者には却って

危険。また車いすやベビーカーにも向かない。

いってみれば生活道路の芝生化は弱者にとって

有益をもたらせるのか大いに疑問。

橋下市長お得意の「費用と効果」を天秤にかけると?

大阪市民の声が報道されず聴こえてこないが実は・・・


規制緩和されて高層の超高級マンションに住むであろう

女性方がピンヒールを履いて颯爽と芝生の

上を歩かれる姿は爽快にみえる・・・か!?[E:coldsweats01]


「ヒーローまがいが出てきて誰がさっさと決めてくれ!」と、

思考停止したあなた任せの姿勢は、実は自分の思いとは

遠くかけ離れたところへ。


まちのあり方は誰が決めていくのか?

その過程を見失ってはヒーローに託した期待は、

ものの見事に裏切られる。

posted by fusabon at 12:05| Comment(0) | お出かけ・旅 | 更新情報をチェックする

2014年04月28日

戦国武将荒木村重は卑怯者なのか?・・褒貶(ほうへん)2題

世間に多い荒木村重を嫌い派の論調。

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[E:book]戦国の古戦場を歩く

著者:井沢元彦 252頁

「有岡城籠城戦」が7頁にわたって紹介

されているのでその一部分を以下に引用。


「中略・・・村重はすべてを見捨て城を抜け出した。

わずか4~5人の従者を従えて有岡城を脱出し

尼崎城へ逃走した。

城と兵を捨てて大将が逃亡するという前代未聞の

出来事に場内は混乱に陥り裏切り者が続出した。・・・」

この著者の言は司馬遼太郎などの村重評をなんら

検証することなく依存したもので、私は好まない。


[E:book]かたや村重を戦国武将らしい武将と評価する。

雑誌「歴史と人物」(中央公論社)1977年7月号

特集「悲劇の戦国群雄」

「荒木村重の”逆心”」富士正晴(作家)より引用。

「中略・・・荒木村重は後世あまり評判の良さそうな人間

ではない。伊丹城の落城に際して、城主の彼が城中に

居らず、一族や家臣どもを見殺しにしたまま、中国(地方)

の毛利氏を頼って逃げ去ったというところが戦国の

武将らしからぬ卑怯とか愛情に乏しい人非人、冷血漢

となったらしいのだが、そんなに頼りない阿呆な人物で

あったのかどうか、わたしは少々ならず疑問である。

わたしにとっては、人がいうほど彼は卑劣とも臆病とも、

冷血漢とも特に思うことは出来ない。

いかにも戦国武将くさい武将で面白いところがあると

いう気がする。

・・・中略・・・

村重を裏切った高山右近(高槻城主)、

中川清秀(茨木城主)は大体、

細川藤高(幽斉)や信長にうまうま操られたのであるが、

右近、信長のキリスト教好き新しいもの好きが、多分村重

にはキザッたらしくてたまらず、わしゃ本願寺(※1)の奴ら

の方がまだしもましじゃと思って心傾いたところもありそうな

気がする。卑怯者とは又べつの代物であろう」

この説の方が村重の心象を捉えているように私は思う。

武骨だが配下の者を疑うことなく信じる姿に、

下剋上の世にあっても心を持っていたと思える。


※1:石山本願寺とは戦国時代から安土桃山時代にかけて

現在の大阪城を中心とする場所にあった浄土真宗の

寺院、城郭で、信長に敵対していた宗教勢力。

寺院等の廃城のあとに秀吉が大阪城を築いたため、

寺院や城郭の規模等は調査不能で詳細は判っていない。


戦国武将荒木村重と黒田官兵衛・・・その1/3

戦国武将荒木村重と黒田官兵衛・・・その2/3

戦国武将荒木村重と黒田官兵衛・・・その3/3

posted by fusabon at 19:04| Comment(0) | くらし | 更新情報をチェックする